2017年6月20日火曜日
退職届・辞職届の撤回・取消し
最近では,労働者が軽率に辞職を口走るという従来の事案とは真逆の,労働者は会社を辞めたいのに使用者が辞めさせてくれないという事案が多数発生しているため,労働者の退職の意思表示が,辞職なのか合意解約の申込みなのかは,客観的な状況に基づいて慎重に判断することになります。裁判例は,労働者保護の見地から,原則として合意解約の申込みに該当すると解しています。
大隈鉄工所事件=最三小昭62・9・18労働判例504号6頁により,労働者の退職の意思表示が辞職に該当する場合は,使用者の退職を承認する権限を有する者(人事部長など)に対して,辞職の意思表示が到達すると,退職の効力は生じるので,もはや辞職の意思表示を撤回をすることはできません。
労働者の退職の意思表示が,合意解約の申込みに該当する場合は,使用者の承諾があるまでは,合意解約の申込みを撤回をすることができます。
大隈鉄工所事件=最三小昭62・9・18労働判例504号6頁は,労働者の退職願の撤回を認めた原審について,破棄差戻をしました。
(公益社団法人 全国労働基準関係団体連合会のHP
https://www.zenkiren.com/Portals/0/html/jinji/hannrei/shoshi/03093.html
「1 私企業における労働者からの雇用契約の合意解約申込に対する使用者の承諾の意思表示は、就業規則等に特段の定めがない限り、辞令書の交付等一定の方式によらなければならないというものではない。
原審の右判断は、企業における労働者の新規採用の決定と退職願に対する承認とが企業の人事管理上同一の比重を持つものであることを前提とするものであると解せられるところ、そのような前提を採ることは、たやすく是認し難いものといわなければならない。したがって、被上告人の採用の際の手続から推し量り、退職願の承認について人事部長の意思のみによって上告人の意思が形成されたと解することはできないとした原審の認定判断は、経験則に反するものというほかはない。
3 そして、A部長に被上告人の退職願に対する退職承認の決定権があるならば、原審の確定した前記事実関係のもとにおいては、A部長が被上告人の退職願を受理したことをもって本件雇用契約の解約申込に対する上告人の即時承諾の意思表示がされたものというべく、これによって本件雇用契約の合意解約が成立したものと解するのがむしろ当然である。以上と異なる前提のもとに、A部長による被上告人の退職願の受理は解約申込の意思表示を受領したことを意味するにとどまるとした原審の判断は、到底是認し難いものといわなければならない。」
『労働法 第11版 菅野和夫 弘文堂 2016年』 705頁
「労働者の一方的解約としての辞職(退職)の意思表示は,合意解約の場合と異なり使用者に到達した時点で解約告知としての効力が生じ,撤回しえない。ただし,意思表示の瑕疵による無効または取消(民法93条から96条)の主張はなしうる。」
『新基本法コンメンタール 労働基準法・労働契約法 西谷敏・野田進・和田肇編 日本評論社』
荒木尚志 408頁
「労働者が退職の意思表示を行った場合,それが「合意解約の申込み」と解釈されれば,使用者が承諾するまでは,信義則違反等の特段の事情のない限り,撤回可能である(通説・判例)。これに対して「辞職の意思表示」の場合,使用者に到達した時点で撤回不能となり,2週間の経過により(民627),雇用関係解消の効果が発生する。このように,両者は概念上は明確に区別され,その効果も異なっている。しかし,現実には,退職に関する意思表示はいずれか明確でないものが少なくない。辞表の提出は辞職(解約告知)で,辞職願は合意解約の申込みというべきかもしれないが,一概にそうもいえない。口頭の意思表示の場合はさらに不明確である。両者の法的効果の違いと労働者の保護を考えると,「辞職の意思表示」と解するためには,明確にそう解しうる状況が
必要で,いずれか曖昧な場合には,合意解約の申込みと解し,労働者による撤回可能性を認めるべきであろう。」
『労働契約法 第2版 土田道夫 2016年 有斐閣』
「裁判例は,一方的解約の意思表示であれば事後の撤回が不可能であるのに対し,合意解約の申込みであれば許されることから,原則として合意解約の申込みと解釈しつつ,使用者の態度にかかわらず確定的に労働契約を終了させる旨の意思が明らかな場合にのみ一方的退職の意思表示と解している。しかし一方,この解釈を一貫させると,労働者は使用者の承諾がない限り労働契約を終了させることができないという不都合が生じうる。そこで,退職の意思表示は原則として合意解約の申込みに当たるが,予備的に一方的退職の意思表示を含むものと解し,使用者が承諾しない場合も,予告期間の経過によって労働契約は終了すると解すべきであろう。」
『労働関係訴訟 渡辺弘 2010年 青林書院』 113頁
「本問の事例もそうであるが,就業規則において,労働者が退職の意思表示をする場合は,会社によって定められた様式による「退職届」を提出することが要求されている場合が多い。もとより,労働者による発言が,確定的にその効果意思の発生の意思が表示されていると評価できるだけの法律行為であると評釈できるのであれば,就業規則に定める退職届の様式に従っていなくても,その法律行為が無効であるとはいえない。しかし,何ら書面を作成することなく,口頭による退職の意思表示が確定的に行われたと評価できる状況は,かなり珍しい事案であるといわなければならない。労働者にとって,労働契約によって就労することで,生活の資を稼ぎ,その時間のかなり多くを費やすのが普通であるから,そのような労働契約を解消して退職するというのは,極めて重要な意思決定である。その重要さに照らせば,単なる発言を,直ちに法律効果を生じさせる程度の確定的な意思表示であると評価するには,慎重な判断が必要である。実務でみられる事例の中でも,上司や代表者と衝突する過程の中で,仮に「こんな会社,辞めてやる!」と口走ったというような事例は少なくないが,それが,確定的な意味での退職の意思表示と評価できるかは,前後の状況にもよるが,慎重な検討が必要であろう。もとより,退職の意思表示が口頭のものであるとしても,それは,客観的に当該労働者が退職することを意図して,客観的な行為を積み重ねているというものであれば,退職の意思表示と評価することも可能である。口頭による退職の意思表示をしてから,何日間も出社せず,音信を絶っていたり,退職のために会社から貸与されている鍵や携帯電話の返還の手続を行ったり,社会保険終了の手続を採ったり,失業給付のために必要な離職表の記載事項について交渉したり,それを受領するなどし,年次有給休暇の取得可能日を計算して,退職日を確定させる等の退職を前提とする具体的な行動が重なっていることによって,確定的な退職の意思表示がなされたと評価できる場合であれば,書面による退職届はなくても,確定的な退職の意思表示がなされたと評価することは十分に可能になるのである。」
『実務労働法講義[改訂増補版][下巻] 岩出誠 平成18年 民事法研究会』 617頁
「退職願の撤回が認められるかどうかの要素として,退職願提出後の時間の経過が大きな意味を持つであろう。」
『基本法コンメンタール 第五版 労働基準法 金子征史・西谷敏=編 2006年 日本評論社』
藤原稔弘 108頁
「後者の合意解約の申込みの撤回の可否については,民法上の原則(民法五二一Ⅰ・五二四)に従えば,定められた承諾期間または承諾期間が定められなかった場合には相当期間,契約の申込みの撤回は不可能である。しかし,判例上は,使用者の承諾がなされるまで,信義則に反するような特別の事情がない限り,自由に退職願いの撤回ができるというルールが存在する(昭和自動車事件=福岡高判昭53・8・9判時九一九号一〇一頁,全自交広島タクシー支部事件=広島地判60・4・25労判四八七号八四頁,穂積運輸倉庫事件=大阪地決平8・8・28労経速一六〇号三頁,学校法人白頭学院事件=大阪地判平9・8・29労判七二五号四〇頁など)。」
『労働契約解消の法律実務 石嵜 信憲編 柊木野一紀 宮本美恵子 2008年』 31頁
「一般的に,「退職届と書かれた場合は,届出であり,それによって終了するため,辞職の意思表示である。退職願と書かれた場合はお願いであり,相手の承諾を前提としているので,合意退職の申込みである」と説明されることがあります。,しかし,この説明には疑問があります。辞職か合意退職かのとらえ方によって法律上の効果が異なるとすれば,労働者はどのような法律上の効果を望んで退職届や退職願を書いたのかということになるからです。労働者が望んだ法律上の効果に従って民法は法的効力を与えるわけですから,この効果意思を無視して記載形式だけで決めることはできません。筆者自身,十数年にわたり人事労務担当者に対して講演を続けていますが,いまだにこの区分が使用者にも十分に認識されていないといえますから。まして労働者が,辞職の意思表示になるか,合意退職の申込みになるのかということを認識して「退職届」,「退職願」,辞職届」,「辞職願」といった記載区分をしているとは考えられません。し,区分自体知らないのが一般的です。裁判例(全自交広島タクシー支部事件=広島高判昭61・8・28労判487-81参照)も,退職届((意思表示)は基本的には形式によらず,終身雇用制下の日本においては円満退職を基本とし,原則として合意退職の申込みがその趣旨だろうと考えています。ですから,「退職届」や「退職願」などが出されても,単に形式で判断せず,原則として労働者からの合意退職の申込みととらえるべきです(使用者の同意が得られない場合のため,予備的に辞職の意思表示が含まれていると考えます)。そして,『慰留されても絶対に辞めます』などと本人が特別の意思表示をしている場合には,はじめから辞職の意思表示ととられることになります。」
『労働法 第2版 西谷敏 2013年 日本評論社』 399頁
「そして,判例は,熟慮を経ない退職の意思表示が多いという実態を考慮して,労働者が確定的に退職の意思表示を固めていると見られる場合を除いて,できるだけそれを合意解約の申込みと解釈して,撤回の可能性を認めようとしている。しかし,合意解約の申込みに対して,決定権限を持つ者が承諾を与えると合意解約は有効に成立するので,申込みを受けた管理職が退職について単独で承諾を与える権限をもっていたかどうかが争われることもある。こうした判例の態度は,労働関係の現実を考慮したものと評価できるが,撤回可能性に関して,合意解約の申込みと一方的解約を峻別するなどの理論上の問題を残している。この問題は,退職など労働者に重大な不利益を与える意思表示について,一般的に撤回の可能性を認めるという法解釈もしくは立法措置によて解決されるべきである。」
『労働相談実践マニュアルVer.7 日本労働弁護団 2016年』 222頁
「使用者の一方的なイニシァテイヴのもとに合意解約が進められ,相談者(労働者)にとってそれが不本意な場合,上記のような問題はあるが,とりあえず退職届撤回の通知はしておくべきであろう。法律的に一方的な撤回が認められない場合でも,使用者が撤回に同意することもあるし,もともと撤回が認められる場合でも,撤回が遅れると使用者が承諾してしまい,撤回が認められなく危険があるからである。なお,撤回したにもかかわらず,退職金が振り込まれたような場合には,解雇の場合と同様,これを返還・供託するか,労働者においてこれを預かり保管し,以降発生する賃金の一部として受領する旨の意思表示を(内容証明郵便で)しておくべきである。これを怠ると労働者においても合意解約の成立を認めた(黙示の合意)として,後に裁判等で争うことは困難になる。」
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